実体化への意志

最近、「気づき」とか「学び」とかいう言葉をよく目にする、耳にする。似たような言葉では「傾聴」なんてのもある。これも流行ってるみたいだ。

「気づきを得られました」とか「学びが多く・・・」とか「傾聴を通じて・・・」とか・・・。

なぜ「気づく」「学ぶ」ではいけないのか? なぜ「よく相手の話を聞く」ではいけないのか?

もちろんこうした言葉を使う人に他意はまったくないのだが、個人的にはどうにも居心地が悪い。どこかに人間の活動(実践)を実体化しようとする意志を感じるというか・・・。

これらの言葉は誰がどういう目的で、使い始めたのだろう? その内調べてみたい。