日本vsトリニダードトバゴ

2−0。試合内容なんかどうでもいい。オシムが監督になったこと、このことが何より重要。

①日本代表監督で選手に「知性」を求めたのはオシムが最初ではないか?「自由奔放+気合い」のジーコ、「オートマティズム(知性は監督だけが持てばいい)」のトルシエ、その前の‘岡ちゃん’ときたらもう言語習得以前って感じだからな。代表監督の口から「知性」という言葉が出たこの時、ようやく日本サッカー界に文明がもたらされたと言うべきだろう。

②監督が「知性」を最重要視しているのに、その試合の解説者が「知性」とは無縁の松木でいいのか?試合前オシムトリニダードトバゴについて質問した記者に対して、「WCでトリニダードトバゴの試合を3試合全部見た者はいるか?」と逆に聞き返したという。当然誰もいない。いやぁ、痛快だなあ。かりに3試合見た記者がいたとしても、間違いなくトリニダードトバゴというチームについて何かコメントなど出来る記者はいるまい。海外のホームページを見ないと何を書いていいか分からない、そして特定選手の家庭環境とか出場国の事情とかを書いてフットボールについて書いた気になっている日本のメディア(朝日、お前のことだよ)を、「お前らにはフットボールそれ自体を見る目はない」とこれほど挑発してみせた監督がかつていただろうか?溜飲が下がるとはこういうことを言うのだろう。

③試合が終わる前にベンチを立つ監督を初めて見た。オシムは試合終了数分前だがベンチから立ち去ってしまった。ベンチレポートはトイレに行ったんだ、また戻ってくると言っていたが、恐らく戻っては来なかっただろう。だって、戻る前に試合は終わっていたんだから。オシムは2点差でリードしているからもう勝利は間違いないと思ったから、席を立ったのではあるまい。むしろ、勝負などどうでもいいと思っていたのだ。無論、フットボールがスポーツであり勝ち負けがあり勝利のためにすべてが組織化されてこそフットボールである以上、「素晴らしいプレイが見られれば勝ち負けなどどうでもいい」などという一部評論家が言うような寝ぼけたことをオシムが考えていたわけではなかろう。オシムが考えていたのは、‘今この場で’重要なのは学習することだということだと思う。オシムは試合前に「敗北から学ぶこともある」と言っている。勝敗よりも学習が優先されるべき試合もあるということ、このことを(口で言うのではなく)パフォーマティヴに示してみせた監督を初めて見た。新しい理解可能な行為の論理空間をオシムは解放した。文明開化だ。