‘問題’の構築

国営放送のpm7:30開始のプログラム;「徹底討論:TVは誰のものか?」を途中まで見た。ジャーナリズムをどう守るか、公共性をどう守るか、市場主義のからみは?、責任のありかは?etc…などインターネット時代の問題、放送と通信の融合という問題が‘真剣’に‘識者’によって討議されていた。しかし、そもそもテレビが誕生したときにこの手の‘問題’とやらがどれほど議論されたか、皆さん知らないのだろうか?TV自らがかつての公共性を破壊して誕生したことを忘却し、自らこそ公共性の規準と信奉する…。忘却と妄想がこの‘プログラム’の問題の構築基盤。‘問題’はこうして作られるわけだ。そして、こういう‘問題’の構築に関与できてこそ‘識者’というわけだ。大体、「TVは誰のものか?」って、(TV受像器は所有できるけど)「TV」って誰かが所有できたりできなかったりする何かなのだろうか?(私はTVを現在所有しているのだろうか、していないのだろうか?)、そこをまず明らかにして欲しいよね。ついでに、この問題を論ずることによって「TV」を‘もの’化し、これによって誰よりもTVを所有しようとする‘識者’とは何者なのか?、ということも。(書いててあまりにもバカらしく恥ずかしいよ。)