総括 続(中田引退)

④このような最近のフットボールの傾向からすると、パルマ時代(2001−03)、中田は重大な転機を迎えていながら、これを見逃してしまったのだということが分かる。当時のパルマ監督ブランデッリは中田を中盤右で起用。ところが、トップ下に拘る(と当時メディアで言われていた)中田はこの起用法を拒否。両者は結局折り合えず、中田はボローニャに移籍することになるわけだが、中田はブランデッリの考えを受け入れるべきだったように思う。ブランデッリの中田の起用法は‘今からすれば’十分納得がいくものだ。

ブランデッリは恐らくゲームメーカーの新たな解釈を中田に提示していたのだ。1有効な走り方を身につけねばならないこと、2守備も出来なければならないこと、3高速のパス回しに対応しなければならないこと、4(ゴール前がCBに守備的ボランチが加わったことで正面からの突破が困難になっているため)サイド攻撃の価値が上昇していることを認識しこれに対応すること。セルティックの中村が今していることは当時中田が求められていたことそのものだ。中村は新しいゲームメーカーの解釈というものが一般化しつつあることに気づいている。しかし、‘当時の’中田はこのことに気づいていなかったのではないか?古典的なゲームメーカーに拘ったのではないか?ブランデッリはその後アドリアーノジラルディーノを育てたというので一躍株を上げた感があるが、ブランデッリは新しいチーム戦術において中田に欠けていることを正確に見ていたように思う。その後、中田は結局、故障もあって長い不調期に入り昨年イタリアを離れボルトンに移籍するが、ここでアラーダイスが中田に求めたことが基本的にブランデッリが求めたことと変わらないというのも皮肉な話だ。

こう考えると、中田の評価がパルマ以後下がっていく(延々と‘不調’であった)のは、このようなここ5年ほどで明らかになったゲームメーカーを巡る戦術的変化に中田が対応できなかった結果という気がしてくる。中田がこのWC後の引退を決断していたのは、こんな事情があったと見るのはうがちすぎか?中田は(古典的な)ゲームメーカーの時代においては恐らく世界的に見ても一流だった(トッティにもまったく見劣りがしなかったローマ時代!)。しかし、今や最新のフットボールは中田のような選手を一流とは見なさなくなってしまった。中田の引退はゲームメーカーを巡る戦術的変化の一つのメルクマールと見ることも出来るように思われる。中田の魅力はその強烈な自己主張だが、5年前ブランデッリの提案を受け入れていれば(アドリアーノジラルディーノがそうだったように)大きく進化することが出来たかもしれない、進化した中田を見てみたかった、とほんのわずかだが思ってしまう。