イギリス雑感1

ヨーロッパにはこれまで何度か行ったことがあるのだが、行くのがすべてヨーロッパ周辺国、真冬、仕事メイン、集団行動といった事情から、なかなか大都市の町中をフラフラとさまようなんてことは経験できなかった。真冬のフィンランドなんて行ったって、日本の冬でも外に出たくない私には寒くて外歩きは出来ないし、真冬の旭川に行ったのと何も変わらない。憶えていることと言えば、タクシーが雪の上をやたら飛ばして、ドリフトしながら走ってるよ、この国民性があるからWRCで北欧勢は強いんだろうな、でも客乗せてるときは止めて欲しいよな、と思ったという程度のことでしかない。

今回は、イギリスの町中をフラフラと何時間も歩き回ることが出来た。やはり旅行はこうでなくちゃいけない。やっとヨーロッパ(無論所詮イギリス一国でしかないが)を経験した気がした。

で、イギリス。町中を歩き回って即座に思うのは、街が汚いということ。特にロンドンは至る所ゴミだらけである。ゴミが落ちていないのは、官庁街とマドンナも家を持っているというケンジントンとかの高級住宅地くらいである。タバコを吸いながら歩き、それをポイ!なんて、日本じゃやたら目の敵にされているが、イギリスではまったくありふれた光景。地下鉄の中もゴミだらけだし、地下鉄自体もどれほど洗ってないか分からないほど汚く、窓ガラスは傷だらけ。日本がいかに清潔かを思い知らされる。

また、日本では公共の場では騒ぐなとは子供のしつけの基本だし、携帯はマナーモードにしろ、しゃべるときはデッキに出ろとたえず語れられているが、イギリスではこれは夢のような話だ。子供が電車の中で大声でしゃべりまくっても誰も注意などしない。大体、大人が電車の中で3m離れて大声で話している。子供がテート・モダン(美術館)の床で水泳ごっこを延々としていても親は素知らぬ顔。携帯は少なくとも電車の中では完全OK。みんな大声で話している。しかも、やたらと日本だけだと言われる電車の中で化粧する行為もちゃんとイギリスに存在した。日本人がいかに慎ましやかであるか思い知らされる。

このような街中の風景を見ると、やはり公共性ってなんだろうと考えざるを得ない。無論、イギリスに公共性の概念がないなどと言いたいのではない。公共性の概念がまったく違うのだろうということだ。子供をどういう場面で叱るか、どういうところで他者に対して気を遣うか、そういったポイントが日本とイギリスではまったく異なるのだろう。凡庸だが、こういった相対性は実際に経験すると不思議な感覚を与えてくれる。