読書会と自主ゼミ

9月は色々あった。喉の違和感がずーっと続いているので耳鼻咽喉科にいってファイバースコープを鼻から入れて検査。声帯炎、しかも声帯にポリープ「状」のものがあるとの診断。ほっといていいものかどうか1週間後にあらためて検査して、また1週間後に検査結果を聞きに行くまで、「最悪の場合は失声」という言葉が頭の中をぐるぐる。幸いなことに検査の結果は問題なしとのことでしたが、生きた心地がしません。

さらにまた網膜裂孔になりました。今度は左目。黒い糸くずの他、やや大きい白いにじみも浮いてます。目が痛くてまともに活字が読めません。ほとんど寝てるしかありません。来週レーザー固定手術予定。

さらに・・・書くのも憂鬱なんで省略。


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29日日経朝刊「私の履歴書」欄に哲学者の木田元が、33年間毎週有志の読書会を続けてきたということを書いている。

木田によると(大意);

きっかけは70年前後の大学紛争の頃院生たちが自主ゼミなるものを始め、テキストを読む修行を軽視するのを見たから。著者の思考を1行1行追思考する訓練をせずには、思考力は養えない。大学の授業を離れてやる気のある者だけで読書会をするしかない。出席者は最初の2年は見習い、お茶くみしながら先輩が訳すのを見学。見習がすむと、先輩、先生の前で4〜5ページ逐語訳。間違えると笑われる。これが2年間毎週続く。読み手が終わると毎週訳文を原稿用紙に書いてきて訳文の練習。

私なんか自主ゼミ中心の院生時代を過ごした人間だが、自主ゼミは確かに、身内の理解に安住してしまう傾向を生み出しやすい。小さなサークル内で生産流通する身内言葉。木田元が自主ゼミを見て感じたのは、きっと「お前らみたいな半人前が集まって意見を交換して同意形成してんじゃねえ!」といった感想だったに違いない。こんなハードな読書会の経験は皆無の私など、木田元からしたらアカデミズム堕落の象徴なのだろう。私などに、最近の自主ゼミオンリーどころか、SNSツイッターの中でお勉強がなされる時代について、とやかく言う資格はないのだろう。現代の学問状況を木田元はどう思っているのだろうか?ただ、厳然たる事実は、皮肉にも、哲学は大学の中から駆逐されつつある(されてしまった?)ということ。大学は自主ゼミ連中が牛耳るところとなったわけで、その内ツイッター連中が牛耳るところになるんだろう。歴史の皮肉。