日常の中の空隙

ごくたまに自分の日常的な生活世界の中に非日常的な空間が深い底知れぬ穴のように空いているのに気付いて驚くことがある。




生い茂ったまた朽ちた木々と雑草と蔓、地面に落ちたいくつもの大きな柑橘類の実、黴に被われ人気のない古びたアパートらしき家屋、そして、その風景の中に、80年代一世を風靡した赤いトヨタセリカXX(A60型)――2Lだろうか2.8Lだろうか?――が、汗の流れ落ちる暑い夏の日の午後、倒木と泥に覆われ、閉じた右のリトラクタブルヘッドライトだけをこちらに向けて、ひっそりと眠っている。君はいつからここで眠っているんだ? 20年前からといったところかい?


一体自分はどこにいるのだろう?と空間感覚を狂わされるが、ここは東京都心、随分長いこと通勤している大学と最寄り駅とのほんの数分の道から一本裏道に入ったところなのだ。今までさんざん多数の人と車が頻繁に行き交う街路を歩きながら、その街路のすぐ裏にこんな風景があろうとは・・・。


かつて六本木周辺を歩いていたとき、スウェーデン大使館から数十メートルのところで、永井荷風がかつて住んだという偏奇館周りの無人の腐ったような古い建物群が密集した一画に迷い込んでしまい、時空間が歪むような感覚を覚えたことがあったが、それに似た感覚を久しぶりに感じた午後4時半だった。