優生学 生理学 衛生学

日がな一日、ネット上で、永井潜に関わる調査をする。優生学はもとより生理学、衛生学、人種学、さらにはその関係者に関する一次資料、二次資料にどんなものがあるか、どこにあるかを調べる。すでに、目を通すべき文献は単著だけでも200冊近い。産児調節運動に関して本を読みまくっていたのは5年前だが、その当時よりもずいぶん優生学関連の二次資料が増えており、またずいぶん一次資料も復刊されて手に入りやすくなっている。

永井潜に関しては実質的にまだ調査を開始していないのだが、この段階でいくつか素朴な疑問が浮かぶ。

戦間期の生理学(永井潜は東大の生理学教授だった)関連文献の中に、やたら哲学的人間学と結合したような文献が多い。現代のように医学、哲学の分業が明確でなかったにしても、である。これはいったいどういう訳だろう?実際、永井潜も多くの哲学がらみの本を書いている。生理学の何が哲学を呼び込むのだろう?カンギレームがデカルトにおける生理学の意味というような本(『反射概念の形成 : デカルト的生理学の淵源』)を書いているのも興味深い。生理学史を勉強する必要がある。

2衛生という言葉は戦間期の重要なキーワードの一つだ。この時期は衛生観念の上昇および医療技術の進歩によって、乳幼児の死亡率が急激に低下し始める時期だが、おそらくこれは優生学の一般化と無縁ではなかろう。まさに民族衛生!しかし、日常的な衛生概念と民族的な衛生概念はどうやって結合していたのだろう?野菜を水で洗うことと民族を浄化することとが同一線上で論じられるそのロジックとはどんなものなのだろう?医療技術の急速な進展の中で、医学的思考に一種のバブルが生じたようにも思われる。そこで、個々の身体を対象とする医学が民族という身体にも言及しようとする…。そして、これが上記1の問題につながる…?。

3おそらく医学的思考、科学的思考のバブルとは単に医学・科学的知識が急速に発展したということに帰されるものではない。これはやはり戦間期の特徴である大衆の出現と密接に絡み合っているのだろう。‘大衆’の出現によって一方では中間集団が多数多様に形成されるわけだが、他方で大衆の指導原理として科学的知識が要請される。大衆化時代と科学時代の共依存関係…。しばしば社会学歴史学はこの種の関係を‘流行’‘時代精神’などといった言葉でごまかし、これを説明項にして議論を組み立てるが、この共依存関係の詳細をこそ解明をしなければならない。おそらくこの共依存関係は多くの局域的な実践テクノロジーによって可能となっていたはずなのだ。一般的な理解に従えば、専門的である他はない科学が非専門性を特徴とする大衆との回路をどうやって持ちうるのか?Grammar of Reproductionで確認したのは、この実践テクノロジーの一つのあり方だったわけだが、これはおそらく他にも様々な実践テクノロジーがあるのだろう。永井潜の場合はどんなものだったのか?

なかなか楽しそうだ。