ハッキング『偶然を飼いならす』

ハッキングはこの本の中で非常におもしろい記述法を採用している。ハッキングは、歴史を多数のいろいろな角度からのスナップショットを組み合わせることで記述しようとしているのだ。寄せ木細工としての歴史。ハッキングの次のような主張はこの点に注釈するものだろう。

概念と推論のスタイルの転換は特定の個人の介在よりもむしろ、無数の細流が作り出すものである。

歴史を「細流」として記述する…。『偶然を飼いならす』は22もの章を持っており、概略を示す第1章を除けば残り21章はみなスナップショットだ。ハッキングはスナップショット/細流を組み合わせることで、大きな第二次科学革命という流れを描こうとしている。細流を積み上げることによって、歴史(の構造、雰囲気、「感じ」p88)を浮かび上がらせる…というこの記述法は『魂を書き換える』でもより巧妙に踏襲される。

個々の章(スナップショット/細流)のみを独立した論文として読み、その全体的見取り図を与えられなければ、‘精密さが足りない’‘お話を作っただけ’の印象が強いものとなるだろうが、それが第二次科学革命という歴史を構成する一つの「細流」であるとなれば評価はまったく異なったものとなる。細流は相互参照しあい寄せ木細工のように相互に組み合わさっている。読み進めるに従い、これはなかなかすごいことをしているぞと思い知らされる。恐らく、ハッキングは個々の章(細流)を、その気になれば、さらに細かな細流の集積として記述することもできるのだろう。逆に言えば、この記述法はその自信の裏付けがなければ採用できないのだろう。

歴史を記述しようとするとき問題になるのは、ある記述がいかなる視点に準拠してのものかということ。この問題に意識的でない歴史記述は読むに値しない。ハッキングのスナップショット的記述は恐らくこの問題に対する彼の回答なのだろう。

スナップショット/コンテクスト/当事者視点

歴史の中では視点それ自体も歴史的に構成される。ハッキングは自らのスナップショットの内実がまた多数のスナップショットからなっていることに気づいている。いったいどのような視点を採用するか、どのようなコンテクストを一体のものと扱うか、どのような場面を一つのスナップショットに納めるか?――こういったことは歴史それ自体に尋ねるべきなのだろう。