ハッキング『偶然を飼いならす』

ゆっくり過ぎるくらいゆっくりと読んでいる。内容だけ読み取るために、あるいは論理構造を取り出すだけのために読むのであれば間違いなくもっと早く読める。そういう読み方はさんざんしたし、またこの後もさんざんしなければならないだろう。しかし、この本はそういう風に読む本ではない。この本は、内容的、論理的要約を拒む本だ。そして、要約的態度で臨む読者には恐らくその核心を教えない本だ。そう思う。自分もそういう文章を書きたいものだ。単なる知識量、あるいは単なる論理性を誇るような文章はもう書きたくない。そういうのはもうさんざん書いて飽きてしまった。


読んでいると、ハッキングが恐らくはとんでもなく精密な年表を何枚も何枚も書き、しかも歴史の中で同時的に進行しかつ相互に絡み合い、時に合流し時に離反してゆく膨大な量の出来事、そしてそこで作動している多種多様なロジックを、リニアーであるしかない文章表現によってどうやって記述するか必死に考えている姿が目に浮かぶ。重要なのはそのハッキングの記述的問題を共有することであって、書かれた出来事のいくつかを英単語のように記憶したり、それらを何らかの自分の持つ論理によってつなぎ合わせることではない。