「遺伝」概念の不思議

遺伝概念は、訳分からない。

なぜ遺伝は生物学プロパーのものになりそうでならないのか?、遺伝による文化現象(とりわけ道徳/倫理問題)の説明が次から次へと現れては消え、消えては現れるのか?そして、なぜ獲得形質遺伝という概念、ラマルキズムは滅びそうで滅びないのか?そして、なぜ偉大な折衷案としか言いようがない総合説などというものが進化論を代表すると信憑されているのか?そして、(社会学内では社会学こそ諸学の基礎/諸学の王などという信念はもはや存在しないが)生物学内ではいまだにこの信念を持っている人間がなぜこれほどたくさんいるのか?

遺伝は、生物学的/社会的、深層/表層といった二項対立の前項(生物学的深層)に帰属していながら、両項を総合する超越項でもある、あるいは、そのような二項対立の被説明項でありながら、かつその説明項でもある――といった様相をこの150年ほどの遺伝に関わる議論は一貫して呈している。

「遺伝」をもはや生物現象、文化現象に普遍的なものとして捉えるドーキンスの「普遍的ダーウィニズム」の構想(ダーウィン的・生物学的な遺伝子進化は普遍的ダーウィニズムの一事例に過ぎない!)などは、このような遺伝をめぐる訳わからなさに忠実と(そしてそれゆえ無自覚とも)言えるだろうと思う(ドーキンスを多くの生物学者また一部経済学者がド真剣に読んでいるという事実は、大方の社会学者にとって謎としか言いようがないところだろうが、その事実が厳然と存在しているのは考察に値する)。

遺伝をめぐるこの訳わからなさにも関わらず、我々は遺伝という現象それ自体を否定しようとはしない。遺伝とは何か正確に語ることはできないが、否定することもできないという状況――これもまた延々と、恐らくはダーウィン以来ずっと、素人においては無論、定式化を仕事とする(と考えられる)科学者においても、続いている。訳分からないが重要であることは分かる――この感覚において、我々現代人と100年前優生学を信憑していた人間とは変わりはないし、また科学者も素人も変わりがない。はっきり証明、定式化できないが、最重要であるもの。遺伝は19世紀中葉以来、我々の思考の公理とでも言えそうな地位を保持している。

遺伝は我々の思想の公理であると認めてしまった方が、むしろ、遺伝の訳わからなさがわかるような気がする。公理をそこから発する命題体系から解明しようとしている――遺伝をめぐる訳わからなさはこれと似ているのかもしれない。思えば、遺伝はかつて生物学と社会学が未分化な時代のキーワードであり、かつ深層の思想の始まりを印すキーワードである。社会学と生物学の起源であり、深層(の構造)という観念の起源である遺伝を、その後の分化した学問、深層という観念で把握しようとする倒錯。遺伝をめぐる多くの不思議はこの遠近法的な倒錯によっているような気がする。

いずれにせよ、遺伝、進化論、さらに優生学といったものを本当に考えるということは、だから、そこに現れる(新総合説は無論、進化倫理学とか進化経済学とかの)ある論点を取り上げそれが論理的に間違っているとか、最新の科学的知識からして維持できないとかと批判を加えることであるはずがない。そのようなことは100年以上すでに語られ続けているから。優生学にしろその登場の時点において、すでにその非科学性は語られている。優生学の非科学性が後年最新の科学的発見によって語られるようになったなどというのは間違っている。

また、遺伝、進化論、さらに優生学といったものを考えるということは、それらをなにがしかの社会状況の出力として知識社会学的に説明することでもあるはずがない。遺伝という概念(の訳わからなさ)はそのような説明様式を超越しているから。実際、この100年以上とりわけ優生学に関する多種多様な知識社会学的な説明がなされてきたが、これによって分かったことと言えば、優生学は個別状況に対応しつつも状況を超越した普遍性を持つということではなかったか?なぜこの100年以上、人間はたえず優生学とともにあるのか?もういい加減、優生学に対して状況的な説明を試みることそれ自体の問題性に気づくべきだ。

むしろ、そのような批判、説明を思わず口にしてしまうこと、それ自体の制度性を考える必要がある。そのような批判や説明こそが、遺伝、進化論、優生学という磁場の内実を形成しており、そのような言葉の総体としてそれら諸概念は生きながらえている。無知を持ち出さないこと、状況を持ち出さないこと――これは遺伝を考える際の基本だと思う。


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例えば、市野川容孝+松原洋子(対談)「病と健康のテクノロジー」(in『生命の臨界』人文書院2005年)を読んでみる。

この対話の冒頭で次のような議論がなされる(「ヒトゲノムをめぐって」)。

松原;病や障害に対する「恐れ」がまずあって、それが「遺伝」と結びつけられたときに遺伝的差別の問題として立ち現れる。p49〜遺伝的差別においては、「遺伝子」以前に「病気」や「障害」への差別がある。遺伝子というキーワードに様々な現象が引っ張り込まれる傾向がある。例えば、「幸福遺伝子」・・・。p50

市野川;いかに「病気」が起こり、いかに「健康」が保たれるのか、その原因やメカニズムを医学は予断や偏見を可能な限り排しながら、客観的、実証的な手続きのもとに解明する。しかし、その手前には何が「病気」で何が「健康」なのか、また何がそうだと言えるのかという認識論的な地平があって、これ自体は社会的な意味空間、社会の価値観に大きく影響される。その分割の境界は恣意性を抱え込まざるを得ない。p54〜凡庸な物言いだが、病気や健康の社会的構成というモメントそれらの恣意性と言うことをもう一度確認しておく必要がある。

このような対話をする両者は問題含みの発想を共有している。つまり、病の<社会的構成vs科学的構成>という二分法と前者の先行性。これはハーバーマス的な<生活世界vsシステム>という二分法を想起させる。恐ろしく素朴な科学観だ。

確かに近代医学が発達する以前から病というものはあったろう。歴史的に近代医学が病に後続するのは当然だ。しかし、この歴史的事実関係をそのまま認識論的関係(権利上まず社会的構成が存在し、ついでこれに対して科学的構成が上書きされる)に横滑りさせることは出来ない。

「遺伝」概念の出現がある種の認識論的革命の端緒でありその結果であったのは周知だ。我々はこの認識論的革命以後に属しており、いわば「遺伝」を通じて世界を見ている。一般的な病気概念が存在し遺伝の概念がそれを変形するのではない。病の概念が遺伝概念の出現以後変形してしまった。

我々にとって、病はもはや宗教的、呪術的な、身体の外部から到来するものではない。それは、身体の内部の奥深く、容易に見ることの出来ない深層の構造に発するものである。直接見ることはできない、しかし我々の身体の運命を決している何かがある。遺伝概念の発明とはこのようなビジョンの発明であり、遺伝概念はまずはこのような何かの総称だった。そして、このビジョンに生物学、社会学の対立を超えた多数多様な日常的な信憑が流れ込んだ。科学的概念が日常的概念を変形し、その日常的概念が科学的概念をより強固なものとして立ち上げてゆく。世代(時間)を超え、人から人へと空間を超える――そしてこの点において我々にはどうすることも出来ない運命的な――難病(これは昔からあった)に対する見方を遺伝概念が変え、そういった難病を利用して遺伝概念が立ち上がってゆく。そこには、まず社会的構成がありそれを科学的構成が上書きするというような単純な関係はない。(フッサールが言っていた「生活世界の忘却」とは、科学が生活世界を上書きしてしまうというより、このような関係性及びこの関係性を維持していた実践活動が一度、日常-社会(的構成)vs科学(的構成)というペアが誕生することによって忘却されてしまうということと理解するべきだ。)

ところが、市野川+松原においては「<日常-社会的構成vs科学的構成>というペアが想定されているので、ここから出てくる医療問題に対する処方箋は、ハーバーマスと同じく、日常-社会的構成の復権という話にならざるを得ない。(「精神病」は医者が勝手に作ったものという、60年代の精神医学批判よりは若干進歩しているが、医学批判という点では変わらない。)そこで、松原は次のように言う。

松原;医療の現場においては、医学の素人である患者、様々な文化・社会的背景を持つ生活者としての患者をそのまま受け入れ、尊重していかなくてはいけないという考え方が、1970年代以降、次第に認知されてきた。p56

このような「考え方」が大切だということは分かる。しかし、この発想――突き詰めて言えば、微少な我々の生活を抑圧する巨大な権力という発想(とりわけ松原はこの発想が強い)――では、優生学の核心に切り込んでいけないだろう。この対話の後半になって、個人主義優生学に対する批判の回路がまったく見いだせないのは、この抑圧権力という発想に凝り固まっているからではないか?松原にしろ市野川にしろ、権力の概念を刷新せねばならないことは百も承知だろうに、いざ議論を始めると抑圧権力を語ってしまう――これも遺伝、進化論、優生学の磁場というものであるような気がするが…。