優生学研究の方向2(メモ)

実践活動として戦間期日本の優生学を捉える方向性をいくつか思いつくままに書いてみる。

産児調節運動の言説戦略
→これは一応すでに考えたのだが、もっと詳しく考えてみる余地はある。例えば、山本宣治に絞って考えてみるとか。

産児調節運動の真の現場である避妊クリニックでの言説実践
→これは難し過ぎる。大阪などで開設された避妊クリニック内の活動を再現するのはほとんど不可能だろう。

3永井潜の言説戦略
→これに関しては思いつく課題がたくさんある。例えば、永井に対してどういう人間がどのように反対したのか?それに対して永井はどのように反論したのか?また永井はどのような人間とどのように連携したのか?つまり、永井の言説はどのような言説の中で、として、に関してin and as,of、どのように組織されていたのか?

イギリスなどで、国家社会主義優生学の断種推進論に対して歯止めをかけていたのは、メンデル以降の遺伝学に基づくペンローズらの人権擁護論だったとケブルスやトロンブレイは示唆しているが、はたしてこれほど単純な図式に当時のイギリスの言説空間が縮減されるかかなり眉唾だと思う。少なくとも、日本の永井潜(と民族衛生学会)をとりまく言説空間を取り巻く状況はこれほど単純ではなかった。優生学を信奉する者同士であってもその理解の仕方による対立があり、他方優生学自体に対する多種多様な反対派との対立もあった。それらをある部分では懐柔しある部分では無視し、またある部分では押さえ込んで、永井潜は戦間期優生学のアイコンとなり、また国民優生法にたどり着くことになるわけだが、ここで駆使される言説的戦略はどのようなものか?