網膜裂孔

右目の網膜に穴があいた。正式には「網膜裂孔」と言うらしい。

医者によると・・・人間の目の水晶体というものは加齢と共に縮退してゆく。他方、網膜にはそのような変化はない。そこで、加齢によって、最初はぴったりくっついていた水晶体と網膜の間に隙間が出来てくる。水晶体が網膜からいわばきれいにはがれてくれればいいが、場合によっては水晶体が網膜から離れるとき網膜の一部を切り取ってしまい、穴があく。これが網膜裂孔というものらしい。言ってみれば、紙からシールをはがすとき上手くはがれず紙の一部がシールにくっついた状態でシールがはがれてしまう、という感じだろうか。

具体的な症状は・・・痛くもかゆくもない。ただ、視界の中に私の場合、右目焦点やや右上に黒い糸くずのようなものが見えるだけ。人によっては黒い塊に見えたり、虫のように見えたりするらしい(これがいわゆる「飛蚊症(ひぶんしょう)」)。ただ、人によって色々なのだろうが、私の場合、穴が拡大する可能性がなきにしもあらずので、穴の周囲を固める手術、いわゆる「レーザー光凝固手術」をしておいた方がいいとのこと。布地のほころびがさらに大きくならないようにその周囲をかがっておくという感じだろう。

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私は先週月曜に黒い糸状のものが視界に浮いているのに気付いたのだが、その翌日行った最初の眼科医院がとんでもなかった。その週末土曜に別の眼科医院に行ったのだが、比較してみてもあまりに最初の医者(40代くらいの女医)はひどかった。今思い出しても怒りがこみ上げる。

1検査。頭を後ろから看護婦に押さえつけられ、眼球にガラスのレンズを押し当てられて網膜の検査を受けたのだが、この検査はいったい何だったのか?この検査、当然というか、かなり痛い。だが、痛いことを問題にしたいわけではない。病気になれば痛いこともあるだろうことぐらい承知している。問題は医者の態度である。

Yは、親知らずの手術で「痛い、痛い」と涙を流しながら訴えたところ、歯科医に「そんなに痛いかなあ」と言い放たれた経験を持つらしいが、私を診た眼科医も似たようなものである。目にレンズを押しつけられた痛みで私の体がどうしても逃げようとするのに対して、その痛みについて触れるでもなくましてや謝るでもなくむしろ、軽く舌打ちをしつつ業を煮やしたような口調で看護婦に「後ろから頭押さえてて下さい!」。頭を押さえつけられ、開いた目をガラス板に押しつけられ、その痛みで体はよじれる――ほとんど拷問の図である。先週一週間はこの検査の後遺症の(としか言いようがない)目の痛みのせいで実質的にほとんど活字を読めなかったほどである。その患者の痛みを前にして、どうしてこれほど冷淡に振る舞えるのか?無論、安易に患者に同調することが医者の仕事の遂行にはマイナスとなる場合があるということぐらい知っている。しかし、これだけの患者の痛みに対して診察の前にも後にも一切言及しないでいられるということは少なくとも私には理解しがたい。

しかも、この苦痛の検査が診断に絶対不可欠というなら分かるが、次に行った医者は、このような検査を一切しなかった。ただルーペで眼球内を覗き込むのみ。どうなっているのか?

世の中には患者の痛みに鈍感な、と言うより、「痛み」の文法を無視して他者(患者)の痛みの表示を否定できる医者がいまだに少なからずいるが、こういう医者に出会うとつくづく腹が立つ。こういうタイプの医者には、ヴィトゲンシュタインの『探求』あたりで横っ面を張り飛ばした上で、「魂に対する態度」の何たるかを脊髄注射してやりたい気がする。

2告知。この眼科医はその苦痛に満ちた検査を終え、ほとんど目がまともに開かない私に対して、(よく憶えているが)まったく表情を変えず一気に次のように言った。

「右目の網膜に小さな穴があいてます。その黒い影は、薄くなることはあっても、もう消えません。放っておくと網膜剥離になる可能性があるので、早めにレーザーを使って凝固手術をした方がいいです」。

①網膜に小さな穴があいている、②もう黒い影は消えない、③「手術」をしなければならない、④「網膜剥離」になる可能性がある――このどれ一つをとっても、医者にとってはたいした情報でなくとも、患者にとってはとんでもない情報である。そのどれをとっても聞きたいことがたくさんある。穴とはどういうものか、一体原因は何か、防ぐ方法は?黒い糸状のものどうやっても消えないのか、一生このままなのか?何か対症療法のようなものはないのか?、網膜剥離?それは失明の可能性があるということか?、目の「手術」?、それは目にどのくらいダメージを与えるのか?視力の低下は?――。一挙に複数の重大情報を与えられれば、誰であってもこのような複数の疑問が整理されないままに頭の中を駆け回るに決まっている。しかも、この医者は積極的に病状に対して説明を加えようと最後までしなかった。当然、その後の私と医者の会話は要点を得ないものとなった。断片的に出てくる私の疑問に対して断片的に医師が答えてゆくだけ。私には、自分が今置かれている状況(病状)の体系的な描像がまったく得られない。そして、それゆえ、不安のみが拡大する。

確かに後からネットで調べてみれば、網膜裂孔というものは特別大騒ぎするようなことではないということは理解できる。医者にとってはなんということはないことかもしれない。だが、情報を欠く患者にとってはまったく事情が違う。どうも医者の中には医学的に重大とは言えない病に関して、患者に対する説明をちゃんとする必要を感じていないとしか思えない人間がいるが、医者の立場と患者の立場の違いというものを思い知る必要があると思う。無論、医者が患者(の不安)に同調しろなどと言いたいのではない。むしろ、患者の不安を緩和すべく適切な形で適切な情報を提供しろと言いたいのだ。私は少なくとも、この医者によっては、最初に述べたような網膜裂孔というものの体系的理解をまったく得られなかった。このような理解は、次に私を診た医者が説明してくれたことである。

一体私を診察したこの最初の医者は患者の立場から病というものを考えたことがあるのだろうか?はなはだ疑問だ。会話分析の適当な文献を使って、あるいは巷にあふれている「(Cureではなく)Care」の重要性を説く文献を使って、顔面に突きを入れてやりたいと心底思う。


教訓1;医者の態度、診断に少しでも疑問を感じたら複数の医者に診てもらうこと。
教訓2;中村橋、富士見台周辺の人間は、中野区上鷺宮(かみさぎのみや)の眼科医院、「××××眼科クリニック」に行ってはいけない。