チャンピオンズリーグ決勝 ミランvsリヴァプール

2006-07 UEFA Champions League Final (23 May 2007 Athens)
AC Milan 2-1 Liverpool FC



試合展開は予想と違っていたが、結果は予想通り。

新聞、TV、さらには一部プレイヤー(ジェラード、カイト)までが、リヴァプールが攻勢だったのに、インザーギのラッキーな得点が流れを変えてしまったと言っているが、これは正当な評価ではない。

ベニテスの戦略は誰の目にも明かで、1FWを減らし中盤を増やして(マンU戦でとてつもない破壊力を示した)ミランの中盤を封じる、2最前線から(カイトも動員して)圧倒的な運動量でプレスをかける、3(ミランで比較的弱い)サイドから崩す、というもの。確かにこれはある意味で有効で、1ピルロセードルフ−カカに中盤で自由にプレーをさせなかった、かつ2マルディーニネスタのミスを誘発し、ビッグチャンスを作ることができた。しかし、そのチャンスを決めきれなかったのは、FWを減員した結果フィニッシュに人間が不足していたために他ならない。とりわけ前半、前線に「あと一枚いれば」という場面がリヴァプールには何度もあった。つまり、リバプールの戦略はミランの驚異的な中盤を押さえこむことはできた、が、その裏面で決定力を著しく削ぐものだったということだ。リヴァプールドログバはいない。

ミランの驚異は、特別な戦略を用意せずとも、相手に応じて変化する有機体のようにプレイヤー自身が局域的な戦術を組み立ててしまうことだ。この試合、カカもセードルフピルロも試合を通じてボールになかなか有効に絡めなかった。しかし、にもかかわらず、彼らは一瞬の些細なプレーでチャンスを作り出してしまう。それは本当に偶然のようにしか見えないが、そのような偶然としか見えないプレーが何度か起こり、そしてそれによって2得点してしまうとなると、これは偶然では片づけられない。1点目、フリーキックを獲得するきっかけとなったカカのプレーもさることながら、ピルロのキックと同時に壁の裏に走るインザーギの動き――これは何だったのか?スローで見ると、反転したインザーギの斜線の運動に、ピルロの蹴ったボールが弧を描きながら吸い寄せられてゆくように見える。何か神秘的な生体メカニズムを見せられたような気がするとしか言いようがない。こういうプレーを見ると、この有機体的能力はいったいどういう訓練の賜物なのだろう?と考えこんでしまう。

こう考えると、ミランリヴァプールの闘いは、変幻自在の有機体と硬質なハイテクマシンとの闘いだったのだろう。イングランドの有力チームはとんでもない動力性能と制御能力を誇るハイテクマシンのようなチームばかりとなってきている感があるが、ミランによってフットボールにおける別の方向性というものを改めて教えられた気がした。