睡眠障害

私は子供の頃から寝付きが悪かった。たまに友達、親戚の子と一緒の部屋で寝たりすると、彼らが横になって30秒ほどでイビキをかき出すのが不思議でしょうがなかった。大学生の時には、放っておくと就寝時間が毎日ほぼ1時間ぐらい遅くなっていき昼夜逆転するという睡眠パターンを自分が持っていることに気づいた。20代の内は、ほぼ一貫して明け方寝て昼頃起きる生活をしていた。他人から見ればいい加減な生活と見えたかもしれないが、自分としては多大な努力をして維持できるものだった。30代となって、仕事の都合上仕方なく朝方の生活(といっても朝8時位に起きる生活なのだが)をせざるを得なくなったのだが、頭の働きは4割方落ちたような気がする。夜型(ていうか深夜型)を続けていれば、今のような低水準の頭になってはいなかったはずだ(と信じたい)。

朝方の生活を開始すると同時に、眠ることが私の大きな課題となったわけだが、この10年ほどはこれはますます大きな課題となっている。講義のない夏休み、春休みはいいのだが、講義が始まると何しろ眠れなくなる。とりわけ夜10時半頃、高速を飛ばして帰ってきた後など、ほぼ一日外回りで疲れているはずなのに、頭が妙にさえて全然眠れない。立派な睡眠障害である。

最初の内は酒で何とかしていた。ところが、酒はだんだん量が増え、アルコール度数が高いものが必要になってくる。最初はビール350ccで眠れたのが、やがてワインとなり、ワインもコップ半分がやがてコップ一杯となり、二杯となり・・・はてはボトル4分の一、3分の一となって・・・これはマズイと酒で寝ることは断念した。大体酒はある程度の量となると睡眠が浅くなってしまう。つくづく無駄遣いな睡眠法である(ということに気づくまでに相当量の酒を消費した)。

そこで、酒を断念して市販の睡眠導入剤に頼るようになった。「ドリエル」なんてのが代表だが、これは風邪薬と同じ成分を利用していて、眠れる分量を飲むと何しろ寝起きが悪い。パブロンとかを夜11時頃飲むと、翌日午前中頭が重かったりするが、あれと同じである。ドリエルも、下手をすると、本当に翌日の午前中一杯、頭が重いなんてこともある。

一昨年、ヨーロッパから帰国した際、Yとともにとんでもない時差ボケとなって、本当に眠れず、仕方なくYが心療内科に行って、「マイスリー(10mg)」という薬をもらってきた。これはすごい薬だった。まずYが飲んだのだが、服用後15分後から夢遊病状態である。小さい子供が寝る直前フラフラしていることがあるが、あんな感じである。で、翌日、私も服用してみたのだが、冗談抜きに服用してからの記憶がなくなった。翌日起きて、自分がどうやって布団に入ったかとか寝る直前の記憶がまるでないなんて、小さい子供時代に経験して以来だった。

このマイスリーという薬のおかげで時差ボケは脱することが出来たのだが、以後、どうしても眠れないというときはマイスリー頼みとなった。最初ほどもう劇的な効き方はしないし、1回の服用量も5mgに減らしている。ドリエルのような翌日の頭の重さも皆無。私にとっては日常常備薬、ビタミン剤みたいなものである。

だが、どうも、この手の薬を飲むということに過剰に意味づけをしたがる人間がたくさんいるようだ。この薬を飲み始めて最初の内は、この薬がいかに(私にとって)よいかを他人に話していたのだが、露骨に「それって睡眠薬でしょ。いかがわしい。不健康だよ。心、病んでるよ。」という顔、発言をする人間がいることに気づいた。お節介にも「ちゃんと体を動かしていれば人間眠くなるものだ。そんな薬飲むくらいなら運動でもしろ」とか、他人の悩みも知らないでご忠告下さる人間までいた。一番興味深かったのは、昼夜逆転の生活で昼間眠くてしょうがない、酒を飲まないと眠れないとか言っている人間(同業者)が、一生懸命に「自分は睡眠障害ではないから、そんな薬には頼らない」と主張したこと。お前のその状態が睡眠障害というものだと言っても、それを認めようとしない。一体こいつは何を否定したいのだと真剣に考え込んでしまった。

恐らく、ここには病の規範、あるいは「異常者」(フーコー)の規範というものが存在しているのだろう。私はその規範に無頓着なのかもしれない。私なんか、一昔前のハルシオンじゃあるまいし、この程度の薬であれば適切量飲んで心身が快調になれば、それで何も問題はないだろう程度にしか考えていない。眠れずストレスためて苦しんで、そのうえそれを自己否定しようとなおさら苦しんで、ストレスの悪循環にはまっている方がよっぽど不健康だと私は思うのだが、世の中の人間は「心をコントロールする薬」にはとりわけ不健康感というより異常性を感じるらしい。なので、最近は他人にうかつにこの話題をするのは避けるようにしている。

しかし、たかが睡眠障害でこれほどの過剰な意味づけである。私は、精神科、神経科心療内科が扱う病気を持った世の人間に、心底同情する。