Barcelona vs. Man. United

UEFA Champions League
Final - 27 May 2009 20:45 (CET) - Stadio Olimpico - Rome - Italy
Barcelona 2 - 0 Man. United
Eto'o 10 , Messi 70


フットボールにおける空間の意味を考えさせてくれる興味深いゲームだった。


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イングランドメディアなど(あるいはそれを参照しているだろう日本メディア)は、なぜロナウドをCFとする4-3-3をファーガソンが採用したのか問題にしている。ひどいときには「采配ミス」とまで言われているが、これはそれほど謎めいているわけではないと思う。

1)昨年CLにおいて、マンUは不調と言われたバルサに対してもボールポゼッションで敵わなかった(http://d.hatena.ne.jp/Zephyrus/20080504/1209911587)以上、絶好調の今年のバルサにボールポゼッションで敵わないことは十分予想できる。とすれば、特にバルサの中盤の核であるイニエスタとシャビをどう押さえ込むかは重要な課題となる。この課題に対して、どう考えてもロナウドは役に立たない。イニエスタとシャビを前線からチェースしようと考えたら、答えはゴールライン間を縦横無尽に動けるプレイヤー、つまりはルーニーとパクしかいないではないか。先にも述べたように、今年のマンUの前線の空間的凝縮感はルーニーとパクに負うところが大きい(http://d.hatena.ne.jp/Zephyrus/20090201/1233455894)。この二人によって前線からイニエスタとシャビをチェースしようと考えることは理に適っていると思う。

2)ロナウドプレミアリーグでは技巧派として通用するが、セリエA、リーガでは普通のプレイヤーに過ぎない。昨年はバルサザンブロッタに、一昨年はミランガットゥーゾロナウドのドリブルは完全に無力化されている(http://d.hatena.ne.jp/Zephyrus/20080523/1211471411)。バルサ相手に「ロナウドのドリブル炸裂!」なんてあり得ない。となれば、1)の事情とあわせてロナウドのCF起用は納得できる。

3)このシステムは確かに余り見慣れたものではないが、CLの対ポルト戦でも対アーセナル戦でも部分的には使用されている。そして、重要なことだが、恐らく、あのマンUを見て誰もが「これは強い」と思ったのではないかということである。対ポルト戦はともかく(私はポルトは打倒マンUまであと半歩のところだったと思うが、2ndLegの解説者など「マンU強し!」を連発していた)、準決勝の対アーセナル戦では(1stLegも2ndLegも)マンUは、エブラをして「大人と子供のゲーム」と言わしめるほどの完勝を収めている(ちなみに、誰であれ相手を「子供」呼ばわりするのはイングランドではとてつもない侮辱らしく――98年WCフランス大会、対アルゼンチン戦でベッカムが退場となりイングランドが敗れた際、イングランドメディアに「10人の英雄と1人のガキkid」という見出しが躍ったのを思い出す――、ほどなく行われたプレミアリーグの対アーセナル戦でエブラは徹底的なフィジカル攻撃に遭っていた)。恐らくファーガソンも、「これは行ける」と思ってしまったのだろう。誰もがそう思っていたのだから、あながちファーガソンを批判できまい。
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チェルシーのディフェンスが準決勝でバルサに対して上手く機能したのに対し、マンUのそれがまったく機能しなかった――エトーの1点目はともかくあのちっこいメッシにヘッドで決められたわけで――ことに対しても、イングランドメディアは「なぜか?」を連発している。今季プレミアリーグのゲームを見る限り、マンUがそのディフェンス能力においてチェルシーに見劣りするとは思えないのだから、この疑問はよく分かる。

1)最初の10分までマンUは攻勢だった。まだ空間のコントロールができないバルサを置き去りにする形で、ロナウドは3本ものシュートを放っている。恐らくだが、この3本の内1本が決まっていればゲームはまったく違うものになっていたのだろうと思う。その時ゲームは、ポルトvsマンU(2ndLeg)――ロナウドが開始10分ほどで30mほどの強烈な無回転シュートを叩き込んだあの試合――、あるいはチェルシーvsバルサ(2ndLeg)――エシエンがやはり開始10分ほどでバーを直撃してゴール内に落ちるボレーを決めたあの試合――の様相を呈することになっただろうと思う。ところが、あろうことか、先制点が攻勢のマンUに対してカウンターを決めたバルサに入ってしまう。この1点でゲームの様相は決定されてしまった。マンUはこれで、ファーガソンが何をどうやっても修正できないほど、完全に変調をきたしてしまう。

2)マンUの基本はとてつもない運動量でフィジカル・プレッシャーを最前線からかけ続けること、言い換えれば空間を非常にコンパクトに構成すること。これは近年のプレミア、ビッグ4の共通した指向性だが、マンUのそれは図抜けている。マンU のゲームを見ていると、最初から最後まで!、最前線から最終ラインまでの間を!動き続けるルーニー、パクを核に、個々のプレイヤーが連携して、相手プレイヤーに対して文字通り体をぶつけてプレスをかけ、ボールをチェースすることを、いついかなる状況でも(3点差で勝っている終盤であっても)遂行できるよう訓練されていることに驚かされる。これができないプレイヤーには、プレスをさぼるような者には次の試合はない――そういう緊張感、危機感がチームを覆っており、それゆえマンUのゲームにおいては空間が非常に圧縮されている感じがする。これはすごいことだと思う。こうしたチームを作ったこと、これはファーガソンの功績なのだろう。単純な運動量ではリヴァプのカイト、ジェラード、チェルシーランパード、エシエンも凄まじいが、チームが作り出す空間の密度という点では、マンUに匹敵するチームは現在のところプレミアリーグにはない。だから、このゲームマンUは一応4-3-3のシステムだったわけだが、これはディフェンスにおいては4-5-1(ルーニー、パクが中盤で守備をする)となり、さらに場合によっては5-4-1(ルーニーあるいはパクが最終ラインに入る)にもなった非常にフレキシブルな4-3-3だった。(ちなみに、今季のアーセナルが沈んだのは同じような空間を圧縮するチーム・ハードワークの核であったフラミニ、フレブがいなくなって、セスク頼みとなってしまったからだろう。ウォルコットは瞬間的なスピード、一瞬の技術はあるが、その持続能力、(他のプレイヤーとの)連携能力がまだまだという感じがする。)ファーガソンからしたら、カウンターをくってもジョギングで戻ろうとするプレイヤーのいる日本代表とか失笑ものだろう。

3)ただ、ロナウドはどうもこうしたファーガソンの、というよりマンUの指向性に嫌気がさしているのではないかと思えるときがある。そして、ファーガソンもそんなロナウドに見切りをつけているのではないかと思えるときがある。実際、ロナウドは敗戦後、自分のCF起用は予想外のことだった、何もファーガソンから事前に聞かされていなかったと、ファーガソン批判とも聞こえるコメントを残している。ロナウドが今季最終的にCFという位置にいたのは、見方によっては、ロナウドマンUのチーム組織からはじき出された結果とも言えるのかもしれない。今季ファーガソンベルバトフに執着し、にも関わらずテベスの移籍を食い止めようとしているのは、時間の問題となった感があるロナウドの(レアルへの?)移籍を見越しているためとか思わず考えてしまう。

4)恐らく、バルサは、フィジカル勝負に持ち込まれてしまった、準決勝のチェルシー戦で、プレミアのチームに対して何をしてはいけないかということをよほど反省したのだろう。バルサの戦略は、マンU相手にプレミアチームの得意な種類のフィジカルな闘いをしない(体をぶつけるプレスを競い合う勝負をしない、走る距離を競い合う勝負をしない)ということだった。プレミアリーグの試合では時に11Kmにも及ぶことのあるルーニーのDistanceCoveredは決勝ではわずかに9.44Km。バルサがいかにルーニーにハードワークを'させなかった'かが分かるというものだ。(ちなみに、両チームで最もDistanceCoveredが大きいのはシャビの11Km。ついで(途中交代した)イニエスタと、キャリックの10Kmが来る。このことは1;バルサがフィジカル面でマンUにその能力を発揮させなかったということは無論、2;バルサがフィジカルに弱いということではなく、マンUバルサのフィジカル能力には質の違いがあるということ、を示唆していて興味深い。バルサは、あくまで'プレミアチームの得意な種類の'フィジカルな闘いをしなかったのだ。)問題はフィジカルな勝負をしないためにバルサがしたこと。

5)バルサマンUと同じく基本は4-3-3だが、守備の時間帯はこれを変形した4-1-4-1。つまり、メッシを1トップに残しエトーとアンリがシャビ、イニエスタと共に2列目を形成、ボランチにブスケスが入る。ちなみに、このフォーメーションはEURO2008でスペインがしばしば取っていたが、その際ボランチのセナがそうだったように、ブスケスはこの試合目立たなかったが最終ラインと中盤との間で空間を埋め、マンUの攻撃を遅くする非常にいい仕事をしていた。

6)興味深かったのは、エトーの先制点が入った10分以後の時間帯、バルサがボールを持ったときに起きたこと。バルサは守備においては最終ラインが高い位置をキープし非常にコンパクトな組織だった空間を構成していたが、攻撃時には最終ラインは無暗に押し上げを図らない。そして、ウィンガーのエトーとアンリは可能限り両翼に広く展開する。結果、中盤の空間が拡大する。この空間の中で、シャビ、イニエスタを核にした、球離れの早い小刻みなパスワークが展開し、他方でこのパスワークがその空間を支え、固定してゆく(かつてクライフは「ボールを動かせ!ボールは疲れない!」と言ったわけだが、バルサは「ボールは当然、選手も動け!」である)。これがマンUに与えた効果が面白い。マンUのプレイヤーはバルサのプレイヤーのボール離れが早くしかも空間が拡大されているので、プレスをかけることができない。というより正しくは、プレスをかける前にパスを出されてしまうのでプレスに行くのを躊躇ってしまう。そしてこれを繰り返される内に本来であればプレスに行くべきところ、チェースするべきところでも足が動かなくなってしまった、いわば単なるボール・ウォッチャーに'なってしまった'。そして、最前列からのプレスがかからないので、そして、ワイドに展開するエトー、メッシ、アンリがしかける裏への飛び出しを警戒して、最終ラインが上げられない。それゆえ、ますますマンU本来の圧縮された空間は実現せず、プレスがかからず…。こうして、エトーの先制点からわずか10分後の20分ごろにはバルサの優位は確定的なものとなっていた。

7)前半が終わった段階で私は「いくら先制点を奪われたショックが引き金になったとはいえ、こんなことが起こることもあるんだなあ」、「あれほどハードワークを基礎命題としているプレイヤーたちからなるマンUがこんな状態になってしまうのかあ」と感慨深かったのだが、まさかこのままでは終わらないだろう、ハーフタイムにファーガソンが手を打って後半は違う展開になるだろうと思っていた。ところが、バルサの空間支配が基本的にゲーム終了まで、ファーガソンがいくら選手を交代させて打開しようとしても、続いてしまうのだから、フットボールは分からない(ファーガソンは後半からアンデルソンに代えてテベスを、また65分にパクに代えてベルバトフを、さらにギグスに代えてスコールズを起用しているが、ギグスはともかく――年齢的な問題もあるギグスはどうせ交代となっていただろうから――アンデルソンとパクの交代は基本的には、前がかりにするというより、バルサの空間支配に荷担してしまっている人間を交代させる、何しろ前線からプレッシャーを加えたいということで、それほど奇妙なものではないだろう。奇妙なのはむしろなぜ後半最初からパクも代えなかったのかということのほうだ)。ゲーム終盤、ボールに触ることができないどころか走ることさえままならないルーニーが天を仰ぎ、どうしようもないといったポーズを何度もしていたが、ルーニーのフラストレーションの質がよく分かる。マンUのプレイヤーは前半10分から20分のわずか10分ほどでいわば空間認識能力を狂わされてしまい、それを建て直すことができないうちに敗北してしまったのだから。ルーニーが完敗を認め、イニエスタを賞賛するコメントを残したのは正直なところなのだろう。

8)全盛期の本家ロナウド(ブラジルのあのロナウド)を彷彿とさせる振りの早いトウキックによるエトーの1点目もすごいが、70分のメッシの2点目は見れば見る程'よくできている'。シャビがボールを持ってゴール方向にドリブルを開始した段階ではメッシは(ファンデルサールが守るゴール方向に)歩いておりそのメッシにはオシェイが貼り付いていた。しかし、そのオシェイがやや後方にいるアンリを見る(メッシから視線を外す)のと、メッシがゴール方向にダッシュするのと、シャビが(ファーディナントの頭上を越えメッシが走り込むべき位置に落ちる)山なりのアーリークロスを蹴るのが、スローで見ても!同時である。どうなってるんだろうか? ゴールを決められてオシェイが腕を振り回して悔しさを表現していた(ファーディナントに何か言っていたのかもしれない)が、気持ちが分かるが、これが技術というものなのだろう。
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昨年EURO2008ではスペインが優勝し、CLではバルサが優勝。恐らく日本ではスペインブームになるのだろう。でも、日本代表がスペイン、バルサの真似をしようなんて考えない方が良い。「日本人、フィジカルでは太刀打ちできない、だから目指すべきはテクニカルなスペイン、バルサぁ、お〜れぇっ!」なんて安直過ぎる。大体、スペイン代表もバルサもフィジカルが弱いわけではない。ただ、その質がプレミアとは違うだけだ。そしてフィジカルに質の差異があるということ、このことは‘フィジカル’がそれとしてあるためには技術(方法)が必要だということを意味している。フィジカルとは単に「体」ではなく、「体-を使う-技術(走る技術、かわす技術、いなす技術etc)」ということだ。スペイン代表もバルサのプレイヤーもみんな、きっちり「体を使う技術」を持っている。彼らは「体を使う技術」を持たないどころかそもそも「体(フィットネス)」を持たない日本人とはまったく違う。とするなら、とりあえず日本代表レベルでは、ボールを扱う技術だけでなく「体を使う技術」を持った人間をちゃんと評価して、ボールを扱う技術を持った人間と走る技術を持った人間をブレンドしてチームを作るしかなく(ボールを扱う技術だって走る技術だって、技術はそうそう簡単には身につかないのだから)、そして「体」をきっちり作ること(フィットネス)に力を注ぐしかないではないか。「代表じゃ連携作るだけで精一杯だろ」、「フィットネスなんてクラブでするもんだろ」と言われそうな気もするが、その発想がそもそも間違いの元なのだと思う。クラブに長い歴史のない日本では、まずは代表が、「体-を使う-技術」を持つ人間をちゃんと評価してみせ、先進的なフィットネスを導入してみせ(例えば、クリンスマンがドイツ代表監督在任時、アメリカの最新フィットネスを重視したのは有名な話)、明確な指針、規準を示さねばならない。代表監督には「WCベスト4を目指す」とか寝言ではなく、現実を踏まえたビジョンを語って欲しいよ。球転がしの技術を持つ人間だけが集まって球を転がし合っても、WCベスト4なんて絶対無理だって。
(了)