大腸内視鏡検査

朝9時から2時間かけて2Lの下剤を飲む。エグイ味らしい。で、2時間かけて大腸内の便をすべて排出する。

午後1時から順番に内視鏡検査開始。うちの親は最後2時頃から準備。実質的には2時40分頃から開始して30分強で終了。そして簡単な医師の説明。5mmほどのポリープを除去。腫瘍は3cm弱。肛門から10cmほど、etc。

検査終了後親は平常心ではないように見えるので「休むか?」と言うと「結構」というので精算へ。

この病院は機会化されていて、精算を申し込む→精算準備が出来ると掲示板に受け付け番号が出る→自動精算機に受診カードを入れ、払い込み、領収書、カードを取って完了となる。

しかし、親は、昨日も同じことをやったはずなのに、それができない。掲示板に受付番号が出ないうちに何度も精算機にトライ。やっと金が払い込めると、領収書、カードを機械に残したまま忘れてしまう。金を払ったので行こうとすると、自分の持っていた荷物をみんな忘れてしまう。こういう親は見たことがない、見たくない。

看護師が「こりゃ、マズイ、親族呼ばなきゃ」と思った理由が分かる。でも私も含めみな「認知症」という言葉は決して使用しない。「不安になって」「パニックになって」失敗した、と言う。

人間をそうそう簡単に「認知症」にカテゴライズできない。カテゴリーの闘い、カテゴリーのループ効果・・・

「不安になって」「パニックになって」失敗した、と、認知症の間に広がる溝はどのように構成されているのだろう?

我々はこうしたカテゴリー・エコロジーに敏感でなければならないのだろう