Engineering the Scientific Corpus ; Routine Semantic Work in (Re)constructing a Biological Ontology  

by  Sharrock-et-al

・・・なんてのを読んでいます。ローズを読んでいたのに、何でこんなものを読んでいるのでしょうか、私は?

だが、それにしても、これ、難物です。途中で、高崎行ったり、区役所や郵便局や行ったり、延々と書類書きしたり(この2週間、どのくらい書類を書いていただろう)、電話したり(この2週間、どのくらい長距離電話をかけていただろう)しているせいで、またテストの採点したり成績報告書書いたりしているんで、集中できないということもあるんですけど、本当に分かりません。

あるバイオインフォマティックス・ワークショップを事例に、セマンティック・コンピューティングにおける開放生物学オントロジー構築の実践をEM的に分析するという論文なんですけど、こう言われて分かりますか? 私はちんぷんかんぷんでした。まあ、地の文はまだネット情報(まだほとんど日本語化されていない!)で補完しながら時間をかけて勉強したおかげで、何とか分かるようになりましたけど、生物学者同士の会話のトランスクリプトが絶望的に分かりません。これだけ時間かけてるのに・・・。

まったく科学的ワークのEMって、書き手(研究者)にとんでもない努力を要求するだけじゃなく、読み手にもとんでもない努力を要求します。しかも、その努力をしても、この論文の場合バイオインフォマティックスの知識を仕入れても、その知識は他の場面の分析には、つまり自分の(他分野の)研究にはほぼまったく援用できません。使えるのは、そのアイディア(着眼)とその分析手法(スタイル)だけです。なんて非生産的な勉強なんでしょう!心底やりたくありません(きっぱり)。(そういえば、つい最近、私の論文を読んだ人が「これを知ってどうなる?」との質問をしたとか。EMがさんざん言われてきた罵詈雑言ですね、これ。やっと私も科学的ワークのEMの末席に入れたかと胸熱です。)

でも、科学者がサイエンスカフェでお話しますなんてのを事例に、科学的概念も相互行為のなかで可能になってます、非科学者(非専門家)は知識を受け取るのみの受動的存在ではありません・・・なんて聞き飽きたもいいところのことをこと改めて言う気はさらさらないと公言してしまっているので、後に引けません。でも、実はサイエンスカフェの会話分析とかでお茶を濁したい・・・。*1

心身ともに弱っているとき、科学的ワークのEMはこたえます。


☆゜。*.★゜。*.☆゜。*.★゜。*.☆゜。*.★゜。*.


おまけ;昨日の雷

*1:サイエンスカフェの会話分析」というのは誰かの具体的論文を念頭においているわけではありません。これはあくまで思い付きで書き留めた表現でしかなく、これに類する研究をなさった、なさっている方を誹謗中傷するものではまったくありません。「オ、オレのことか?」とか決して考えてはいけません。