Engineering the Scientific Corpus (続)

この論文、難解でよく分からないことだらけなのだが、冒頭「Background」の最初の一文を読むだけでも、読む価値がある。そこにはこうある。

SSSは、新たな[科学的]貢献が科学共同体に受容される方法に照準してきたが、自然科学的研究が受容、確立された発見という背景に対してなされるということを自明視し、現在の業績が先行業績の蓄積結果に埋め込まれるその方法をさして強調してこなかった。

言うまでもなく、筆者たちが言っているのは、先にhttp://d.hatena.ne.jp/Zephyrus/20130217/1361111675で言ったことと同じことだ。この認識が広まれば、ここから、この論文の筆者たちを直接インスパイアした(Ontologyに代えてOntographyを提唱する)リンチの仕事、さらには(ruptureを語った)フーコーの仕事を一つの視野の下に展望することができるだろう(これはリンチ自身が仄めかしている)。

こうした仕事は一言でざっくり言えば、世界制作のワークを標的としている。世界内の存在を作り出すことと世界を作り出すこととは、まったく異なる。科学は世界を作り出す。例えば、永井潜の優生学的試みは、優生学を軸/規準とする世界を作り出すことだった。そこでは、固有の意味論と固有の存在論が実装され、固有の統一性が産出される。それはいかなるワークに基づくのか?――この問題こそ、例えば優生学を考えるときの核心であり、またEngineering the Scientific Corpusの筆者たちが生物学者たちによるOntoloy構築を考えるときの核心でもある。

・・・なんて言えば簡単なんだけどね。これを実行するのは別問題。この認識が日本で確立されるまで、まだ10年以上の時間がかかるんだろう。若手研究者、地味でも腰の据わった息の長い研究をして下さい。よろしくお願いします。ありがちな「‘若き俊英’も、40過ぎたらただの人」にはくれぐれもならないように。