ああ、4月になってしまった・・・。この感覚は仕事柄なのでしょうね。


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自分の研究しているフィールド(研究対象)がいかに価値あるものか、あるいはそのフィールドに入るのがいかに大変か語って下さるのはいいのですが、でも、フィールドの価値は研究それ自体の価値ではありません。社会学では、この混同が多すぎますね。

すでにあるフィールドの価値に寄生して、そしてフィールドの価値を(自分達で宣伝することで)上昇させて、その価値で自分の研究を粉飾する研究が社会学は多すぎます。社会学は流行商売ですか?

大体「フィールドに出る」とかいう言葉自体からして胡散臭いですね。昔、大学生の頃「大学院に行く」とバイト先の上司に言ったとき、その上司が言った「なんだ社会に出ないのか?」という言葉を思い出します。フィールドはいつもすでに目の前にあるんですよ。あらゆる経験がフィールドであって、だから家の中で本を読んでいたって、そこにフィールドがあるんですよ。「テキストを読む」ということが単なる「本読み」にしか見えない、フィールドに見えないのは、あなたの研究者としての能力の問題です。相互行為場面を録音する、ビデオ撮影する・・・新しい研究手法はたくさん現れています。しかし、そもそもビデオを「見る」とは何ですか? 録音を「聞く」とは何ですか? あなたが今行っている「見る」「聞く」とは何ですか? そこからすでにフィールドは始まっているのではないですか?

フィールド外在主義者とは戦うしかないかと思う4月なのでした。