ルーピング・エフェクト

ハッキングの思考の特徴は、記述(言葉)がいかに機能しているかを軸に様々な現象を考察しようとするところにある。

例えば、ハッキングにおけるもっとも基礎的な区分は相互作用種と無関心種という記述の区分だ。ハッキングはこの区分を人間種と自然種という伝統的区分に寄生する形で導入しているが、その時のポイントはハッキングがこの区分を分類にそれ自体が反応する(つまり相互作用する)種、しない種という形で機能論的に再定義しているという点にある。

『相互作用』とは人ではなく,分類に,種に,分類されるものに影響しうる種に,用いる新しい概念である。

無論、この二つの種を論理的に明確な形で定義することは難しい。ハッキングもそんなことは百も承知している。しかし、この種の区別を(暫定的ながら)基礎として、そしてその間に(場合によっては論理性を踏み越える形で)様々な記述のバリエーション(種の曖昧な縁)が展開されると考えると多くのことが説明できるだろう――こういう議論をハッキングはしているのだ。(ハッキングに対して「論理的ではない」という批判をするときは余程注意をする必要がある。)

今やあまりにも有名となって使うのも気恥ずかしい気がする、しかしその割にはたして含意が理解されているかどうか怪しい「ルーピング・エフェクトlooping effect」という術語は、この相互作用種の機能に関わる総称的な概念として導入される。だから、それは、まず何よりも種の機能(書き換え)を基礎とする概念であって、人間の様々な心的(内面的)諸概念(とりわけ反省)を基礎とする概念ではない。

無論、心的諸概念が種の変異に無縁であるわけではない。記述の書き換えは様々な概念をその中に巻き込みつつ進展する。そこには心的概念を含む文法の体系的変異があるだろう。それゆえ、ある特異な現象にアプローチする(分析をかける)とき、その分析が心的諸概念の変異を(主要に、あるいは手掛かりとして)扱うことは何の問題もない。

しかし、それでも、誤解してはいけないが、ハッキングが言う相互作用、ルーピング・エフェクトという術語は、心的諸概念を基礎としているわけではない。繰り返すが、ハッキングが基礎として標的にしているのは、記述の機能なのだ。

記述の機能論的分析、これは日常言語学派哲学、さらにはフーコーの基盤をなす発想であり、これをハッキングは継承しているのだろうと思う。