深層構造

今書いていて唐突に思ったのだが、やはり深層構造の管理操作実践を記述しようとするなら、具体的な出来事を書いて、そこで成員はこういう科学的知識を前提にして行動していたのだということを書くだけではまったく記述として不十分だ。リンチのハッキングに対する異論も結局のところその辺にあるのだと思う。別に細密なポリシー上の対立がそこにあるわけではなく、単にポリシーの従い方の問題に過ぎないのだろうと思う。まあ、この単純なことができないんで、みな苦労しているわけだけど。

最近つくづく思うが、大切なのはいろいろな意味で考えなくていいことを考えなくていいと切り捨てる能力だ。確かにポリシーを緻密に考えることも大切だが、ポリシーは所詮ポリシーに過ぎない。本当に考えなくてはならないことは、経験的な研究において出現する。個別の問題をどう処理するか、これはポリシーを考えても分からない、いわばポリシーの応用問題。その技術論にもっと思考を注ぐべきだ。ポリシーのpolishにばかり時間を割き、経験的な研究を行う段階でいい加減な処理を行ってしまっている研究がどれほど多いことか(自戒を込めて)。

だから本を読むときも具体的な問題をどう筆者が処理してどう記述を組織しているのか、これをこそ読み取らねばならない。ポリシーに関する能書き(主張)など‘ほとんど’(‘まったく’ではないが)どうでもいい。U氏はこの点からしてハッキングの『魂を書き換える』の4章はなかなかいけていると言っていた。読み直そう。