中野敏男とコンテクストの問題

(7月に生物学、遺伝学、8月に優生学をフォローし、9月は戦間期、1920-30年代の社会史/歴史社会学的研究をフォローしている。)

社会史というものはつくづく読むのがつらい。なにかそれは、社会史などと言わず、歴史-物語と言った方がいいのではないかと思う。社会史を読むつらさはどうしようもない小説を読むつらさに似ている。

最近流行のタイプの社会史においては、近代日本のありとあらゆる微細な出来事が、権力、抑圧、差別の現象である。あらゆる法規が、あらゆる言葉が、はては視覚、聴覚など五感までもが、すべてがすべて治安や衛生に関わる権力-抑圧-差別の現象である。そして、ちりばめられるポストモダン用語。トポグラフィだ、地政学だ、表層だ、エクリチュールだ、痕跡だ・・・。そして、キーワード中のキーワード――言説。これが言説分析であるとするなら、それはなにしろ権力、抑圧、差別をキーワードに色々な出来事、言葉をモンタージュして物語を組み立てる作法としか思えない。

これがまだ現代社会のことであるなら、当事者がいるから下手なことは言えないと自制心が働くのだろうと思う。だが、扱っているのは100年も前の社会のことだから、自制心などどこ吹く風、何を言ってもいいだろうといった具合に物語化がなされる。「死人に口なし」とは社会史(言説分析)のためにある言葉ではなかろうかと思う。さらにあるいは、直観的に(戦勝国が自らの基準で敗戦国を裁く)戦争裁判に喩えたくなる。だから、私など、この種の記述スタイルにこそ、もっとも根深い権力が潜んでいるのではないかと思わず考え込んでしまうのだが、歴史-物語を語る者にこの手の反省はまったくないようだ。彼らはありとあらゆる現象の中に権力-抑圧-差別の痕跡を自信満々に暴露してくれる。

確かに、権力-抑圧-差別という現象はあるだろう。そしてそれによって苦しむ人はいるだろう。それを告発し正したいと思う人もいるだろう。だが、せめて、自分がいかなる立場から語っているのか、その立場くらい明らかにして欲しい。そして、世界には様々な立場があるのだから、その様々な立場に対する理解を示して欲しい。あるいは、直接このような論述を行わないまでも、この点に関する配慮の上に自らの記述を展開して欲しい。これはウェーバー以来、歴史を語る際の最低限の作法、倫理ではないか?このような配慮を欠くとどうなるか?デュルケム的な集合表象の暴露になる。そこで、「人々は意識してはいなかったが無意識のうちに・・・」という台詞、あるいはこれに類する台詞をたびたび目にすることになる。かつてレヴィ-ストロースが「社会フロイディズム」と批判されたことを知らずとも、自らが暴露しているその「知の構造」とやらがどこにどのように存在するのかくらい少しは考えてみてもいいのではないか?

歴史-物語が跋扈する中で、中野敏男の書く論文は、少なくとも、この作法-倫理を堅持しようという強い意志を感じさせる貴重なものだ。恐らく、中野の論文は歴史-物語の作者、愛好家からすれば、「ポストモダンの現代において時代遅れ」との評価を受けるのだろうが、そんなポストモダン-バカの評価など相手にせず、がんばって欲しいと思う。

例えば、中野敏男「総力戦体制と知識人――三木清と帝国の主体形成」(in『岩波講座 近代日本の文化史6 拡大するモダニティ 1920-30年代2』)を読んでみる。

課題は、戦争と知識人という(ある意味)古典的な問題。ただし、中野によれば、従来の「転向」という問題設定は<個人vs国家権力>という枠組みを前提にしており、もはや採用できない。このような前提においては個人の主体性を根こそぎ動員する総力戦を問題化できないから。中野が問おうとするのは、この前提において排除されてきた、1;権力が個人の自発性を育成し、諸個人が権力の構成要素となるという関係性、2;個人vs国家権力の関係性が成立する場(=国民共同体)とその外部との関係性。そして、これを問題化する際の素材は、三木清。そして、その際のポリシーを中野は次のように語る。思想家当人(三木)にとっての内的意図から解釈し、思想的な一貫性あるいは断絶を確認、その意味を考えるのではなく、その言説の軌跡を同時代の思想的コンテクストにおける意義(特に読者の側から見た意味)から考える、と。

問題の立て方もポリシーも非常に共感できる。

だが、この論文が私にとって何とも歯がゆく感じられるのは、中野が自らのポリシーを突き詰めて考えていないところだ。中野が語るポリシーはあくまでウェーバー以降の社会学一般のポリシーでしかない。ウェーバーそして(ウェーバーから分離した)知識社会学はみなこのポリシーを共有している。何らかの言葉(理念)をコンテクストにおいて問うというのは社会学の一つの正統な行き方として確立しているが、もはや現代においてはこの程度のポリシー規定では話にならないだろう。コンテクストという概念それ自体を、例えばフーコー(+ハッキング)、エスノメソドロジーの知見によって、さらに徹底的に詰めて考えねばならない。

だが、中野はこれをしない。そこで、中野の論述は、ほぼ『プロ倫』的な水準――カルヴァンの理念が当時の人々にいかに受け止められ、いかなる動機形成に関わったのかという水準――で、展開されることになる。(正確には、中野の論述は『プロ倫』の水準にも到達していない。中野の論述は三木清の思想の内容説明に追われ、その思想が人々にいかに受け取られたのかを詳細に追跡してはいない。)いくらコンテクストにおいて三木の思想を問うとは謳っていても、実際になされていることが、「三木の主体性を顕揚する思想は、マルクス主義運動崩壊後の知識人にとって、救いとなった」程度の説明では、拍子抜けというものだろう。三木の思想が主体性を追求することによって逆に国家への(主体的)貢献へと回収されてしまうという――ハイデガーのナチ荷担に関して語られたことをガイドラインとしていると思われる――中野の論述はそれはそれで面白く読めるが、現代の理論水準からすれば、中野が当初立てた問題は違う形で展開できたであろうと思われる。