「公認欠席届」

今年から非常勤で教えに行っている某大学で、5月中旬、学生が「公認欠席届」なるものを2枚持ってきた。就職活動(会社説明会出席と会社訪問)で4月最終週と5月第1週の2回欠席した分を「公欠」とする証明書だと言う。瞬間的に、会社説明会出席と会社訪問で休講する証明書?何だそれは?そんなことで出る証明書なんて見たことないぞ、しかもこの手の届けは事前提出が原則だろう、と思う。そして、その学生を見直して即座に、これはいい加減な証明書だろう、と思う。というのも、その証明書を持ってきた女子学生が長い茶髪の巻き毛だったから。まさか、その頭して「就活してます」はないだろう。

一応受け取り、帰宅後、出席簿を見るとその学生は4月の開講以来、5月の中旬その届けを持ってくるまで、一度も出ていない。しかも、証明書に書いてある訪問先企業の会社訪問の予定をネット上で見てみれば、学生が行ったというその日、その場所では、会社説明会などなされていない。しかも、学生の学籍番号をよく見ると、昨年入学の番号。2年生?で就活?わけがわからない。

しかし、気になるのは「公認」の文字。しかも、「就職センター」なる欄には個人のものだが印まで押してある。一体この証明書は何だ?学生は教員に様々な欠席届を持ってくる。教育実習に行くというまっとうな届けは無論、部活の試合で欠席、さらにはサークルの合宿で欠席なんて届けなどというものまで学生は持ってくる。そういうものは教務に聞いてみれば、学生が自由にハンコを押して発行できるものだったりする。当然そんなものはほとんど考慮に値しない。しかし、今回の届けには「公認」の文字。何だ、これは?

そこで、しょうがないので、教務にメールで「公認欠席届」とは何か、いくつかの疑問点も合わせて、メールで聞いてみた。何往復かメールをやりとりする中で、分かったことは;1.この証明書は確かに大学の就職センターなる部門が発行したものであること。2.しかし、この書類は実質的に、学生の申請があれば担当者が印を押すだけのものだということ、つまり申請の正否を大学が審査して欠席を証明するようなものではないこと。3.問題の学生は3年からの編入で現在4年であるということ。

4年であれば就活をしていてもおかしくはない。この点は納得した。しかし、それ以外はぜんぜん納得できない。まず、茶髪巻き毛の学生がどうして、ありもしない会社説明会に出るとかいう届けを持ってこれるのか?あるいは、どうしてそのような学生にそのような公欠を証明するような届けが発行されてしまうのか?

しかも、このような届けをもし大量に持ってくる学生がいたら、どう対処するのか?説明会、会社訪問程度で公欠証明を出していたら、とんでもない数の届けが出される可能性がある。半期12、3回の授業で7、8回分届けを出されたらどうするのか?また、多くの学生がこれを出したらどうするのか?授業運営に対する影響はどう考えているのか?

こういった件に関して、直接メール交換をした教務担当者は、事情は後で担当者から直接連絡すると言いながら、いっこうにその連絡はない。どうやら無視を決め込まれたようだ。届けを学生の言いなりに出しているから説明などできないのだろう。また、授業への影響など端から考えていないのだろう。「学生の就職活動を支援しましょう」程度のことしか考えていないのだろう。あるいは、教員がその場でそういうことは「柔軟に」考えて欲しいと思っているのだろう。

しかし、だったら、「公認欠席届」などというものを発行する意味はまったくない。教員は学生に就職して欲しいと思っており、それを邪魔するつもりなどさらさらないし、そんな届けなど出されなくとも、通常ちゃんと出席している学生がちゃんと事情を説明すれば、会社説明会出席や会社訪問による欠席も考慮している。少なくとも、私はそうだし、ほぼすべての教員がそうだろう(無論例外はあるかもしれないが)。一般的に大学にはまず、就職活動に対して「公認欠席届」のようなものは出さないが、ないのは当然なのだ。大学当局が裏も取れないことに証明書を出すことはできないし、またそのような証明書を仮に発行しても結局のところ教員の裁量に任されるという事態は何も変わらないからだ。そのような届けを作らないことによって、学生と教員の適正な判断力の発動を促しているのだ。

にも関わらず、この某大学では、就活に対する「公認欠席届」なるものが存在する。一体何のためにこれはこの大学で存在しているのだろう?私には、存在意味が見いだせない。というより、今回のようなそれを利用しようとするふざけた学生を作り出す分、つまり学生と教員の適切判断力の麻痺をもたらす分、大学にとっては逆機能としか見えない。この届けは、それなりの学内の会議等の手続きを経て発行が決定されたのだろうし、そしてこのために担当者がその職務時間の一部を使ってこの届けを印刷し、そして今日も印鑑を押しているのだろう。この形式主義を産出し維持するために投下された、されるだろう、無意味にしか思えない労働というものを考えると3分ほど憂鬱になった。

しかし、これは外在的な評価なのだ、きっと。この大学の教職員にとっては、何か意味があるのだ。くだらない公文書のよい存在理由があるに違いない。一体この大学の教職員はこの届けに何を見ているのだろう?調査してみたい気がする(ほんのちょっとだけ)。大学事務の重要性の表示だったり、あるいは大学事務労働の創出だったり、あるいは教員に対する締め付けの一端だったり、なんてことは十分ありそうだ。

いずれにせよ、この「公認欠席届」をめぐる今回の一件で、私はこの大学の職員に相当嫌われただろう。仲間内で仲良く楽しんでいるゲームに乱入して、「こんな身内のゲームをして何が楽しいんだ?身内には分かるかもしれないが、外の人間にはぜんぜん分からないんだけど?」って言ったようなものだから。私は典型的な、「和」を乱した人間なのだろう。教職センターの職員も「面倒くさいこと質問しやがって、オレら身内で楽しんでんだからほっとけよ!お前になんかに分かってもらわなくて結構!」と言いたいところなのだろう。何の説明の返信も返ってこないのはそういうことの意思表示でもあるのだろう。これから生じるであろう面倒を考えると10分ほど憂鬱になった。

その後、問題の学生は欠席を続けている。恐らく、私の授業は切ればいいと考えているのだろう。自分が提出した届けをめぐって教員と教務がメールのやりとりをし、険悪な雰囲気になっているとも知らずに。