授業運営

最近の大学の授業はとても手間暇かかるものになっている。今の大学での授業は私の感覚では、中学生相手の塾の授業と何も変わらない。(今の塾は私がバイトで教えていたころ以上に生徒サービスを要求されているだろうから、この比喩は多分不正確だろうが。)

シラバスできっちり授業予定を示さねばならない、そして実際、その予定に即して授業をしなければならない。場合によっては、ハンドアウトを含むプリント類を配るだけではなく、毎回とは言わずともリアクションペーパーを書かせてあるいはミニテストして、そして場合によってはコメントを付けてそれを返却して、学生の関心を喚起し、集中力を維持してゆかねばならない。場合によっては、講義に関連する映像資料とかを探し出してきて、見せたりしなければならない。信じがたいが、噂では、90分の授業半ばに「リフレッシュタイム!」と称して浜崎あゆみとかのPVを10分ほど流す先生もいるとか。こうなると90分授業を維持することを放棄しているわけだが、学生には好評という。授業サービスの最終形態は、授業内容を可能な限り薄めながらも学生を勉強した気にさせ、そして「楽に」単位を取らせることであるに違いない。

こんなことは私が学生だった頃はほぼ一切なされなかった。講義予定を見せられた経験はない。教員は数千円の教員の書いた)教科書(を買わせて、そのほんの一部を気ままに(としか思えない感じで)しゃべる。板書は断片的、下手すると板書はほぼ一切なし。学生はただひたすら教員のお話を拝聴し、自分でその話をノートにその場でまとめる。そして、教科書を読んで、前期後期の試験に臨む。(そして成績は教科書を読んでいるかどうかで決まる。)ただこれだけである。私の出身大学の教員がひどすぎたのかもしれないが、今の大学教員には夢のような話である。

文科省が授業運営の厳格化を各大学に指示しているということとは別に、多くの教員が自発的にもこういったサービスを行っているという事実、そして学生がそうした教員の授業をデフォルトとしているという事実は、もはや大学教員として無視するわけに行かないこととなっている。無視してもいいが、無視するには様々な人間関係上のトラブルを覚悟するか、そうしたトラブルをトラブルと感じない神経、さらには「無視している」とすら思わない神経を必要とする。私の知り合いのある大学の教員は某大学でどこ発行ともしれぬ、部活の試合を理由とする公欠届を一挙に5枚持ってきた学生に、休んだ5回分のパワポ・ファイルをくれと平然と言われ、また別の教員は学生の授業態度がひどいのでミニテストをすると言ったら学生からそういうことはシラバスに書いてないと抗議され、また別の教員は成績評価をクラスの状況を見てレポートからテストに切り替えようとしたら、大学事務からシラバスに書いてある通りレポートで成績評価を行うよう注意され、また別の教員は履修者数が少ないことで同僚教員に遠回しに厭味を言われ、また・・・。

教員がサービスを過剰に行えば学生はますますサービスになれ、ますます過剰なサービスを要求し・・・この悪循環を押しとどめることは誰にもできない。