リンチ『エスノメソドロジーと科学実践の社会学』コメント2

1 シュッツ、あるいはプロトEMについて(続)
2;シュッツとプロトEM

本書中盤の構成は;4章でプロトEM論(=シュッツ論)を、デリダディコンストラクションの発想をベースに展開。で、ディコンストラクション以後どうするか?という問題に、5章でウィトゲンシュタインの拡張、「分析後」としての「治療」をもって答える――という感じだろうか。

4章の議論、プロトEMを理解するには「結論」内の以下の部分をまず読むのがいいと思う。

p363
ポスト分析的エスノメソドロジーは,分析への要請と,科学的理論化の態度に対する「無反省的な」メンバーの自然的態度というシュッツ的対照をアイロニー的に認識することから始まった. このアイロニーというのは,前科学的な生活世界における秩序の内生的産出を探求しようとする「ラディカルな」試みが,いかにして,社会科学の特権を主張するもう1つの試みになったのかを認識することを指している.

つまり、シュッツは「前科学的な生活世界における秩序の内生的産出を探求しようとする「ラディカルな」試み」を開始した。しかし、それは結局、社会科学の特権を主張することに繋がって失敗した。この失敗のメカニズムをよく知ろうではないか、さもないといくらラディカルなことを言っていてもまた同じ失敗をするぞ、と。この失敗のメカニズムこそ、「プロトEM」の名前を与えられるものなのである。

これを下敷きに以下の部分を見る。

p174
プロトエスノメソドロジーは,エスノメソドロジーにとって歴史的先駆者―― 「ラディカルな」研究プログラムの方針に表現されている,超越論的現象学の残余――であるだけではない.研究者そして同様に参与者にとっての現在の研究状況を,専ら認知的用語で定義しようとする現在のエスノメソドロジー研究における一貫した傾向も,プロトエスノメソドロジーに含まれるのである*1.プロトエスノメソドロジーは,エスノメソドロジーの出発点で立ち止まる.そしておそらく,「脱構築主義者」が古典哲学のアポリアを完全には避けることが出来ないのと同じように,エスノメソドロジストと自ら名乗る者は,プロトエスノメソドロジーを避けることはできないだろう.簡単に言えば,この出発点は,社会学で研究される実践的行為の領域の「外側」に理解可能な理論的立場がありえないということを理解することによって構成される.これは,覚えたり繰り返したりするには簡単なフレーズだが,深く心に刻み込むにはきわめて難しい教えを表わしているのである.実際,この教えは次々と超越論的分析へと向かうことによって継続的に覆されてきた.この教えが,その教えをまさに実行しようとする中で覆されるということは,しばしば起こることであり,特徴的なことですらあるのだ.
この教えは,ガーフィンケルとサックスの論文の最初の数行に示唆されている.

(何というデリダ的な言い回し! これを読んでデリダを想起しない人間がいるとしたら、相当寝ぼけた人間に違いない。)つまり;プロトEMは「社会学で研究される実践的行為の領域の「外側」に理解可能な理論的立場はありえない」と覚えて、繰り返しているのだが、この言葉を(超越論的分析に向かってしまって)継続的に覆しているのだ。そして、その典型がシュッツなのだ。

シュッツにおいて「社会学で研究される実践的行為の領域の「外側」に理解可能な理論的立場はありえない」――これはちょっと社会学史とシュッツの業績を振り返れば誰でも解る。シュッツはウェーバーの「理解」概念を大幅に拡大した。ウェーバーにとって「理解」という意味産出の技法は社会学者(分析者)の問題だったが、シュッツはこれを全ての行為者の問題として受けとめた。この世界はまず行為者によって意味づけられているから。よって、シュッツにおいて、社会学で研究される実践的行為の領域の「外側」に理解可能な理論的立場はありえない。実際、シュッツの社会科学方法論は、彼の多元的世界論の一部として、常識的生活世界をいかに科学的理論化の世界に写像するかという観点から、展開されている。

では、シュッツはいかに間違えたのか?(いかにその教えは覆されたのか?)



*1:この記述からして、リンチの問題は(IKYさんが強調していたような)EMの学説史的な発展段階ではないということが分かります.ガーフィンケルのシュッツ受容という学説史的問題はそれはそれで重要ですが、これはリンチの問題提起とすれ違っています.