思想史と歴史的存在論2

もう少しだけ具体的に考えてみたい。


Rabinow&Roseはこう考えて、新遺伝学における優生学の消滅宣言をしている節がある;優生学は、決定論の伝統的基礎の上に遺伝(遺伝子プール)への政策的介入が重なったところに生じた。よって、遺伝子プールへの政策的介入が終われば、決定論を基礎に個人的介入がなされても優生学ではない、と。

これはいわば思想史に基づく判断だが、こうした思想史的判断には大きな問題がある。決定論優生学という社会現象の基礎となっているということ、それ自体のメカニズムが見過ごされているから。優生学が20世紀巨大化する際、それ以前に決定論の伝統はあった。これは正しい。しかし、そのことから、優生学決定論を自らの基礎として組み込むということが、一義的に帰結するわけではない。大方の思想史を専門とする人間はこの点をまったく考えようとしないのだが、何か思想史的伝統があれば、自動的にそれがある社会現象に組み込まれていくなどあり得るはずがなかろう。優生学自体が決定論を自らの基礎として組み込んだのだ。それは優生学それ自体の言説的達成と考えられねばならない。*1

この思想史的ビジョンの欠落の発見は歴史社会現象のビジョンを変える。つまり、連続性に基づく現象ではなく、非連続性に基づく現象というビジョンの転換である。これこそ、フーコーが『知の考古学』冒頭で語った、歴史概念の変換に他ならない。すなわち、「連続性の歴史」から「非連続性の歴史」へと歴史概念は変わるのだ(フーコーはこの歴史概念の変換それ自体を歴史的現象として扱い、自らの研究をその変換に埋め込んで説明しているので、見通しが悪いが)*2フーコーはこう言っている。

問題はもはや、伝統や痕跡にではなく、切断や境界にかかわる。永続するのは、もはや基礎の問題ではなく、変換の問題であり、変換とは基礎の設定とその更新とを合わせたものを含んでいる。 *3

一点の曇りもなく明快だ。この「非連続性の歴史」というビジョンに従えば、優生学の基礎的定義に関して、「決定論優生学に固有ではない以上、優生学を定義するのは遺伝への政策介入だけだ」などとは言えない。優生学の基礎的定義は、「決定論という基礎を(再)生産しつつ、遺伝への政策介入を推進する言説的統一体」と言うべきだ。つまり、決定論がその一部として優生学を持つのではなく、決定論はむしろ優生学の重要な一部と考えられるべきだ(実際、20世紀の歴史を見れば、決定論優生学の中でその生命を得、成長してきたと言う方が適切ではないか! 存在したのは優生学運動で、決定論運動などではない)。そして、その上で、問うべき優生学の基礎的問題は、優生学が自らの統一性をいかに与えるのか、そしてその統一性の基礎をいかに更新、再生産、変換してゆくのか、であるはずだ。

・・・といった問題意識から、Rabinow&Roseの優生学消滅宣言はどうにも拙速という気がするのだが、いかがなものか?――というのが16日の報告の趣旨だったのであった。*4

*1:ここで言っていることは、例えば、ある会話がなされるとき、その前提は「会話の中から」選択される、ということを考えれば、即座に理解できるはずです。

*2:あなたは『知の考古学』を読んでいますか? (最近新訳も出たみたいですし)再読してはいかがでしょう? 結局分からなかったとしても、可愛さ余って憎さ百倍、「フーコー、説明、下手杉」とか、フーコーをdisらないで下さいね。あと、分からないのに分かった気になって、フーコーが取り上げたテーマだけ勉強して、結局、思想史を再生産するなんてことは、さらに絶対しないで下さいね。系譜学だ、統治だとフーコー用語並べて、フーコーっぽいテーマで、でもよくよく聞けば古くさい素朴な(マルクス主義ウェーバーの焼き直しみたいな)思想史を延々と語られたんじゃ、フーコーがあまりに哀れです。

*3:フーコーは60年代末『知の考古学』を含め様々なところで、デリダを(デリダの名前を出さずに)延々と批判していますが、ここもデリダ批判となっています。「非連続性の歴史」という観点はフーコーデリダ批判の核心です。

*4:確かに(MEDさんのコメントを勘案して)考え直してみれば、私の報告は、遺伝学という統一性と優生学という統一性の関係に関して、あまりにも単純に両者を重ね合わせるような物言いをしていたと反省しました。ですが、やはりそれでも、Rabinow&Roseの判断は拙速という感は抜けないです。一方で経験的問題として、他方で論理的問題として、もう少し考えてみます。(>参加者諸氏)