ローズたち1

(http://d.hatena.ne.jp/Zephyrus/20130218/1361193153の延長で、ローズたちのしていることについてもうちょっと考えてみる。ただし、まだ、完全に「1人ブレーンストーミング」なのであとあと訂正する可能性が大です。)


ローズらが目指していることは、新しい科学が立ち上がってゆくとき、その周囲に組織される大量の活動の作動形式を、そこに書き込まれている新たな主体の倫理にとりわけ注目しつつ、解明してゆくこと、と定式化できるだろう*1

そして、このタスク追求において重要なのは、「活動の観察から帰結することだが」、その活動に外在する説明方式(方法論)を退けるということ*2。こうした説明図式をローズは「深層の存在論」などと言っているが、つまりは、目の前にある現象を(その現象の中にある人々には見ることの出来ぬ)深層の構造の変換された現れと見なし、真実を掴むためには解読(解釈)がたえずなされねばならないという思考形式のことだろう。

例えば、素朴な権力(抑圧/支配/搾取/差別)論、素朴な生物決定論(遺伝子還元主義)といった説明図式。権力を行使する国家、資本、科学と抵抗する無力な人民の人生、生物学遺伝学的知識に規制、拘束される無知な一般大衆の人生――こうした真実の暴露こそ知識人の崇高な使命!この手の外在的説明図式は、安っぽいヒューマニズムと結合して非常に大きな力を持っているが、結局のところ、単なるモラルキャンペーンであり、それゆえ介入と意味づけのための素朴な権力の行使ですらある。ローズらが、あまり整理されてはいない不器用なやり方だが、ネグリ&ハート、アガンベンを批判し、新遺伝学を優生学的と指弾するだけの論者を批判するのは、このためと思われる*3。細密な経験的研究もしないで、漠然とした外在的な基準で勝手に現象を総括するな、と。

こうした試みの基本線はフーコー、ハッキングの仕事と完全に親和的であり、何の問題もない。目下気になっているのは、だから、この先にある。

(続)

*1:これこそリンチが警告していたことだと思いますが、この文では科学(知識)と活動を別物のようにも読めますが、科学が一方に存在し、他方でそれを具現化する活動が存在するなどということではありません。科学(知識)はそれ自体活動です。だから、例えば「優生学は単なる学問ではなく、運動でもあったのだ」なんてことをうかつに言ってはいけません。

*2:現象に外在する方法論の否定を何よりも要請するのは、その現象それ自体なのだという(フーコー的ともEM的とも言える)ロジックをローズは採用しています。

*3:ほんの数年前まで「帝国」だとか「マルチチュード」とか言って、親の代から権力と聞くと搾取とパブロフの犬的に反応してしまう者同士で反権力、反資本キャンペーンをしていた人たちとか、ほんの数年前まで過去の(反論される余地のない)優生学者を見つけてはそのテキストもきっちり読まずにとりあえず叩きまくるという反優生学キャンペーンをしていた人たちとかが、最近ローズに乗り換えようとしている雰囲気がありますが、彼らは自分の過去の業績とローズの議論とどう折り合いをつけるんでしょうかね? ローズは『帝国』なんてフランスじゃ全然読まれなかったとか、「マルチチュード」なんて何が言いたいのか分からないとか、何でもかんでも優生学と決めつけているだけなんて単純もいいとことか、言ってるんですけどね。(少し表現に誇張があります。)