科学という活動(続);Practice Turn

例えば、90年代以降のSTSの台頭を考えてみる。「大雑把に」考えていくつかの特徴が思い浮かぶ。


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1;STSは社会的構築主義がそのバックボーンとなっていた。
2;とはいえ、構築主義の理解の仕方があまりに曖昧、多様で、およそSTSに明確なポリシーがあったとは言えない(「家族的類似」的集体だった)。(cf.ハッキング)


3;STSがSSKに取って代わる。
4;このとき、STS vs SSKの間に論争めいたものがあった、が、はたしてあれは論争と言いうるのか? EM関係者は論争に勝った!と思っているのかも知れないが、STSはEM的スタンスに統一されているわけでも何でもなく、むしろ内的対立の方が下手をするとSSKとの外的対立よりも激しいくらいだ。STSのベースとなる構築主義自体も実は多くの問題(例えば相対主義に関わる)を未解決のままにしている。SSKからSTSへの移行は、論争によってと言うより、なし崩し的なSSKの廃位とSTSの戴冠と言うべきと思う。


5;STSでは、SSKが対象から除外していた自然科学(数学、物理学etc)が新たに対象となった。
6;STS台頭のピークでサイエンスウォーズが勃発する。が、これこそおよそ論争と言える代物ではなかろう。単純な誹謗中傷と言うべきだろう。(戦端がある雑誌のおふざけ投稿論文により開かれたというのも出来過ぎ。)
7;結局、多くのSTS論者はSTSを科学に対する、社会構築主義ベースの新たな規範主義的プログラムと理解した。簡単に言えば、STSとは社会科学者が自然科学(特に産官学一体のビッグサイエンス)の暴走を監視するための規準を提供する社会的装置である。(リンチみたいな記述主義的STSなど例外(だろ?)。)


8;00年代、90年代のSTSの台頭は、他の人間科学分野(eg歴史学)の転換と共に、「Practice Turn」と総括される。
9;この総括の出現とシンクロする形で、STSはブランド化する、つまり、STSは徐々にその詳細を語らなくてもよい紋切り型の語句となってゆく。(「STS」という言葉は、誕生から今に至るまで延々と、ガーフィンケルとサックスが参照したリチャーズの記法に従えば「?STS?」というわけだ。)


10;「社会的構築主義(?)に基づいた、科学に対抗する規範主義的(?)プログラム」としてSTSはますます強固になっている。が、「?」付きの概念が完全解明されているわけではなく、誰もそんな問題を考えなくなったというだけのことに過ぎない。

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仮にいわゆる「Practice Turn」なるものがこんなものだったとすれば、「Practice Turn」などという言葉でなにがしかの変化を思わず語ってしまうことには相当慎重でなければならないと思う。「Practice Turn」という言葉を否定するつもりはさらさらないが、この手の言葉は、「不定型なものを定型と見なせ」という高圧的で教育的な効果を持ちうるし、そこにあるはずの細かな差異を見えなくする効果を持ちうる。紋切り型の言葉が見えなくするものは何か、もっと考えてみてもいいと思う。(少なくとも、個人的には新しいバズワードを追うより、古くさい議論の中にその議論を支える文法を発見する考古学的行き方の方が趣味だ。)


思えば、90年代はエスノメソドロジーにとっても転換の時代だった。つまり、シュッツ派の没落とウィトゲンシュタイン派の台頭。もしかしたら、「Practice Turn」と同じ効果を「ウィトゲンシュタイン派EM」という言葉は持っていないか?、それはブランド化していないか?、もしかしたら、そこには明確に語られないまま忘れ去られた空白があるのではないか?、と考えてみることは重要だと思う。


「科学者が自らについて綱領的に語ることと、彼らが実際にしていることとは違う」とエスノメソドロジーは延々と言ってきたはずだ。エスノメソドロジーという活動にも同じことが言える可能性を考えないでどうしてエスノメソドロジーを名乗れるのか?